日光山輪王寺「相輪塔」|【巨大ロケットの正体を暴露】

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日光山・輪王寺「相輪塔/相輪橖(そうりんとう)」【重要文化財】

創建年

  • 1643年(寛永20年)
塔高

  • 14.182m(礎石からの全長:14.892m)
  • 袖柱4本:各5.392メートル
材質

  • 青銅製
重要文化財指定年月日

  • 1917年(大正6年)8月13日
作者(発願者)

  • 南光坊天海(なんこうぼうてんかい)

日光山・輪王寺「相輪塔」の読み方

「相輪塔」は「そうりんとう」と読みます。

なお、漢字では「相輪橖(そうりんとう)」とも素敵に書く。




ところで・・「相輪塔」とは?

神橋を上がった先の日光東照宮へ通じる「表参道」を2分ほど進むと、やがて右手に輪王寺の「黒門」や「護摩堂」が見えてきます。

その護摩堂の手前には摩訶不思議な「ロケット」のような形をしたモニュメントのようなものが建てられています。

このロケットオブジェこそが相輪塔です。

相輪塔は天台宗(台密)特有の仏塔であり、内部に経典をおさめることによって邪気を祓い、聖域を守護していると云われています。

なお、察しになられた方もいると思われますが、「相輪」とは五重塔や三重塔の最上層の屋根の上で見かけることのできる「あのクソ長い金具」のことです。

⬆️写真は浅草寺五重塔

「相輪塔」が造立された理由

この相輪塔が建つ場所は東照宮の鬼門にあたる方角とされ、その鬼門に建てられた「供養塔」でもあります。

したがって「鬼門除けや鬼門封じの効果」も併せ持っています。

他にも「平和」の意味が込められているともいいます。

「鬼気(忌わしい気)」を祓い、国家の安寧を願った塔であるとも云われております。

そんなこともあり「相輪塔」の内部には、「1000部を越す経典」が納められています。

相輪塔に書かれている文字の意味

輪王寺の相輪塔の銘文は上部から下部へ向けて以下のような構成で記される。

  • 相輪橖銘
  • 最澄銘文
  • 天海銘文




相輪橖銘

以下、掲出の写真(画像)は輪王寺現地掲出の看板より

「叡嶺相輪橖銘」から、素敵に始まる。最後は「弘仁十三年 歳次(さいじ)庚子」で締める。

最澄銘文

「最澄撰」から、やっぱり素敵に始まり、「九月中旬」で締めくくる。

天海銘文

「寛永二十 癸未 年 卯月如意曰」「山門 三院執行探題前 毗沙門堂(現・毘沙門堂/京都市山科区安朱稲荷山町)門跡 大僧正 天海 誌之(これをしす/=記す)」から、ふたたび素敵に始まり、それでも素敵に銘文本文が記される。

「相輪塔」は、日本にたった3基しか存在しない?!

こういった「相輪塔」は、日本にたった3基(3本)しか存在しないそうです。

日本に現存する「相輪塔」は以下の3つの場所にあります。

  • 比叡山・延暦寺
  • 大慈寺(栃木県都賀郡)
  • 日光山・輪王寺

日光山・輪王寺「相輪塔」の歴史・由緒

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相輪塔は、1643年(寛永20年)に3代将軍・徳川家光公の発願によって、南光坊天海大僧正が比叡山(延暦寺)の相輪塔を模して制作されたと伝えられています。

当初は奥院(奥社)に建てられていたようですが、二荒山神社の境内(社務所東隣り)に移築された模様💘

星霜経て、1875年(明治八年)に二荒山神社社務所東隣りから現在地へに移建、とりわけその四年後の1879年に本堂(三仏堂)も相輪塔の南東(現在地)に移建された。

えっ?!相輪塔はまだ他に結構、建てられている?!

実はこういった「相輪塔」は昔はもっと数があったそうです。

それが現在では、たった3基しか現存していないということですが、元来、この「相輪塔」を広めたのは台密(たいみつ)とも呼ばれる天台宗の宗祖・最澄(さいちょう)だと云われます。

「相輪塔」には、国家鎮守のご利益があるとされ、東西南北の鬼門たる方角と、鎮守の要となる「中総」に、この「相輪塔(六所宝塔/ろくしょのほうとう)」を配置することによって、邪を打ち祓うことができると云われまする。

日本(天台宗)における東西南北を司る鬼門の方角と中総の鎮守

所在地守護する方角六所宝塔寺名
上野国安東宝塔緑野寺(浄法寺)
筑前国西安西宝塔竈門山
豊前国安南宝塔弥勒寺
(宇佐神宮/筥崎宮)
下野国安北宝塔大慈寺(日光山)
山城国安中宝塔比叡山 西塔・
比叡山相輪塔
近江国安総宝塔比叡山 東塔・
法華総持院東塔




普通なら通り過ぎる「相輪塔のこんな見どころ」

2基の灯籠

ちょっと相輪塔の前を見てください。燈籠が2基あるのに気づきませんか?

相輪橖・銅灯籠

  • 奉納日:慶安元年(1648年)4月
  • 奉納者:江戸・大阪・長崎の「糸割符(いとわっぷ)」商人一同

⬆️左側の灯籠

⬆️右側の灯籠

実はこの燈籠にはちょっとした曰くがあったのをあまり知られていません。

この燈籠は徳川家康公に中国生糸の輸入販売を許可してもらった、江戸や大阪、長崎の生糸商人たちが、出資しあって寄進した燈籠になります。

この灯籠の名前や由緒などの詳細については下記ページにて詳しく述べています。




4本の副柱(そえばしら)と内部に納められているもの

相輪塔は中央の天をも貫きそうな長い柱と、中央の柱の半分くらの長さの4本の柱(副柱)がセットになっています。

4本の柱が支える中央のビッグ柱には金鈴と金の瓔珞が飾られており、最澄と天海僧正の銘文が残されています。

さらに内部には上述、1000部もの経巻が納められています。

新しくなった糸割符灯籠

🐣工期

令和三年02月08日〜令和四年02月07日(工期12ヶ月)

🐣工事内容

明治八年(1875年)の解体移築から146年が経過し、相輪塔内部の心柱に腐朽が推察されたために解体修理を、素敵に実施。

第一に腐朽度合いや破損箇所を検出し、すみやかに補修。また、人命危害を視野にいれた予防的耐震補強工事も、やっぱり素敵に実施。




相輪塔(相輪橖)の場所(地図)

輪王寺・相輪塔(相輪橖)は大護摩堂の前に位置します。宇宙ロケットのような容姿をしていますので、見ればすぐに分かります。宇宙行けそぅ

輪王寺境内の観光スポット一覧

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